川崎の事件に関連して|事務局長 能登

ひきこもり支援シェアハウス|おしらせ

 

テレビでもネットでも、「ひきこもり」や「自殺」の話題が沸騰しているようですね。

生きづらさを抱える若者たちと日々生活をともにしている私としては、ひきこもりと犯罪を結びつけようとする議論や、「不良品」的な議論には共感しがたいものがありますが、それでも、そういった部分も含めて、今回の件をきっかけに「ひきこもり」や「自殺」に焦点があたり、こんなにも多くの人々が本気で意見を交わしていることは、むしろとても意義のあることではないかと思い、わたしもこのテーマに関わる者の一人として、思うところを述べてみようと思い立ちました。

今回の事件を巡る様々な議論の中では、私はサンデー・ジャポンの太田氏の議論に共感しています。

ひきこもっていようとリア充であろうと、わたしたちの日常は「べつに死んでもいいや」的な感情と常に隣り合わせですし、そうすると当然「どうせ死ぬんなら・・」も視野に入ることになります。

「いかれたやつらがまたやりやがった」ではなくて、「いつでも、誰にでも、起こりうる事」という視点です。これは私達の日々の支援活動の中でも常に感じていることです。当たり前の日常の延長なんです。

だからと言って個人に責任がないという意味ではありません。

ただ、事件が起こる度に個人を感情的に(あるいは倫理的に)責め立てるだけでは、あまり意義がないように思えます。

こういった事件が繰り返されるということは、その裏に、社会の構造的な問題があるんじゃないの?という部分を考えていかなければならないのかな、と思うのです。

そして構造的問題とは、私が思うに、

・個人が孤立しやすい社会(地域共同体の崩壊、社会的包摂性の欠如)

・生きる喜び(太田氏にとってのピカソ)に出会う機会が少ない社会

です。

わたしたちの運営する「人おこしシェアハウス」に相談に来られる方々の多くは、「誰にも相談できない」状況にあります。(=孤立)

入居される方の多くは、生きることに喜びや楽しさを見いだせない状態にあります。(=無関心、無気力)

そこで人おこしでは、

・まずは、丁寧に信頼関係を構築して、「人に頼ることができる」「一人じゃないんだ」という感覚を持ってもらえるよう努め

・同時に、なるべくたくさんの体験をしてもらい、喜びや楽しさとの出会いの機会を増やす

ことに力を入れています。

包摂性があり出会いの機会の多い社会を擬似的に作っている、と言ってもいいかもしれません。

問題は、私達の生きる社会が、こんな当たり前のことを日常の中で享受できない社会である、ということです。

ですので私が切に願うことは、今回の件を個人攻撃や感情的な議論だけで終わらせず、できればこれを機会に、孤立して関心を失い、自分や他者の命を大切に思えなくなってしまうような個人をなるべく生みださないような、ベターな社会を目指そうという動きにつながってくれたら、、ということです。

制度設計はもちろんですが、個人のレベルでも、人と人との関係を大切にしたり、できることはあると思います。

そして、直接支援に関わるわたしたちは、生きづらさを抱える人々の孤立を少しでも減らし、そして彼らが彼らの「ピカソ」に出会えるように!

今後も、全力で、取り組んでいきます。

思うままに書きましたので、乱筆をお許しください。

 

2019年6月6日

NPO法人山村エンタープライズ|「人おこし」事務局長

能登大次