コラム「ひきこもり支援の現場から」第9回

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人おこし事務局長の能登が、美作市社会福祉協議会の広報誌「はい!社協です」に連載しているコラム「ひきこもり支援の現場から」。若者たちと過ごす日々の中で感じることを、少しずつコラムとして綴っています。社協さんに快く許可をいただきましたので、こちらのウェブサイトにも掲載いたします。

コラム「ひきこもり支援の現場から」第9回

加害者が被害者?被害者で加害者?


「暴力で手がつけられない方がいまして、入居させていただけないかと・・」

ここのところ連続で、そんなご相談をいただきました。

親、教師、支援者、主治医、みな困り果てて「そうだ、人おこしにお願いしよう!」という経緯だそうです。でも家庭内暴力と外での暴力は全く別物。残念ながら、私どもとしてはお断りせざるを得ませんでしたが、それにしてもなんだかやるせないな・・というのが私の正直な気持ちです。

もちろん、暴力事件単体にフォーカスしたら、ことは単純です。

AさんがBさんを殴って怪我をさせました。Aさんが加害者、Bさんが被害者なので、Aさんを裁いて、はい一件落着。学校や施設の規則に則って、あるいは法律に則って、然るべき処分をすれば、なんの問題もないでしょう。

でも考えてみていただきたいのです。

そもそも子ども・若者は、「暴れまくって社会のやっかいものになるのが夢だ!」なんて自分の意志で選んだのでしょうか。そんなはずありませんよね。

純粋無垢な赤子として生まれた彼らを、そのように育てたのは、親をはじめとして、彼らを取り巻く大人たち、そしてこの社会のはず。

そんな風に育てておきながら、いざ手に負えなくなったら、「乱暴者」「感情のコントロールができない」「入院させろ」「警察を呼べ!」と厄介者扱いして、たらい回し、そして処罰。ひどいものです。

そういった視点から見直すならば、彼らは「加害者」どころか、子どもをまともに育てられなくなってしまったこの社会の「被害者」とも言えるのではないでしょうか。つまり現代の社会制度のもとでは、「被害者」が「加害者」として裁かれ、罰を与えられるのです。

ちなみに、私は単に「親が悪い!」と言いたいわけではありません。だって今の社会に、親が安心して子どもとしっかり向き合えるような環境が整っているとは到底思えないからです。

そしてこの社会の被害者という意味で、ひきこもりも暴力も、問題の根っこは同じ。出方が違うだけです。 そんな「加害者になってしまう被害者」をうまない社会を、ひきこもらずとも安心して生きていける社会を。人おこしシェアハウスは、その理想実現の出発点に立ったばかりです。

美作市社会福祉協議会発行「はい!社協です」 2023年9月号